友達って何

友達の枠組みがわからない。

もともと、「友達」とか、「親友」とか、関係性に名前を付けることが苦手だった。

今も今までも、よく話したり、遊ぶようになっても相手から友達認定されなければ他人に堂々と「あの子は友達だよ」と言えない。向こうが私を友達と思ってなかったらどうする?その恐怖が前提にあったからだ。

 

社会人になり、地元から離れて就職した私は職場関係の人とプライベートの時間を過ごすようになった。

職場の先輩、同期とももちろん気兼ねなく話せるが、地元に帰り「友達いるの?」と聞かれると考えてしまうことが何度もある。

 

…今日見た映画「聲の形」。その主人公も「友達の定義って何?」という疑問にぶつかっていた。その彼に対し他の登場人物が

『それは定義付けないといけないものなのかい?』

『友情ってのは 言葉や理屈…それらを超えたところにあると思うんだ』

と、答えていたことが印象深く残っている。

 

このことから、友情とは言葉にできないものであること。もし言葉にしようとするなら、人それぞれ友達の定義は違うのかもしれない。友達になる条件としてある程度のルックスであったり、年や価値観、自分を尊重してくれる …等、それぞれに重きを置く人もいるのだろう。

 

そういったことを念頭に置いて考えた結果、私にとって友達の必要条件は、「気心が触れる人」なのかもしれない。

今の私には「この人といたら楽しいな」「あの人といた時、こんな幸せな気持ちになってたな」とか、思い出せばプラスの気持ちになれる人がいて、プライベートでも遊びたい人がいる。そういう人は私にとって友達の条件クリアといえるだろう。

ただ、友達とは相互関係で成り立つものだと考える。

相手も自分といてプラスの感情を抱いている…そう感じればそういう人を友達といってもいいのかもしれない。

 

…難しく考えすぎたけれど、そう思えればその人との関係性が幼馴染、同期、先輩とか本当はどうでもいいのかも。

 

ああ、地元に帰りたい。

三連休

 

わたしは三連休でもないと大掃除をしない人間。

 

洗濯してカフェ巡り、文献を読み、最高の休日。

 

部屋にゆとりがあると心にもゆとりができる。

 

いつでもなりたい自分だったらいいのに。

忙しい日々が始まる。精一杯やってこう。

 

 

天皇誕生日の振替休日、ありがとう。バンザイ

 

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好きなことができなくなる

 

私が勤めている病院では、病院に入院されてからある程度ADLが確立してきた患者に関しては退院先や今後のリハビリの方向性を定めるためのミーティングが行われる。

 

先日初めて退院先が自宅でなく、施設になる患者様の話し合いに参加した。

このミーティングで感じた思いを忘れないようにブログに残しておく。

 

脳幹出血の患者様で構音障害を伴っており、発語不明瞭だが理解は良好な方である。

年齢も若く、ADL練習と付随して就労に関してのリハビリも実施していた。

その方の希望は「自宅退院」。リハビリに関しても熱心に取り組まれていたように思う。

 

しかし、結局ADLの大幅な向上は認められず、キーパーソンの負担がかかることから施設退院の方向性になる。

 

Drが本人に退院先の希望を聞いた際に

 

「家に帰れるとは思ってない」

 

本人がいろんな気持ちを押しつぶして、様々な日々を過ごしてようやく出したその言葉を聞き悔しさと悲しさでいっぱいになった。

 

私は結局この人の人生に何を与えれただろうか、ただ漠然とリハビリをしてきたが、結局は何も助けになれていないのではないか。自分自身の力不足にやるせなくなった。

 

もちろん、これが私より優れたセラピストなら多少ADLの獲得スピードは速かったかもしれないが、機能的にも全ADL自立は厳しいのは確かだ。

 

これまでも病気になってから計り知れないほど多くの自信や、他社との交流、趣味を諦めてきたのだろう。施設退院だからといってできないことがさらに増えるかといわれればそうでもなかったりするのかもしれない。しかし、旅行に出かけたり、好きな音楽を借りにCDショップへ行くことは今後も出来なくなっていくのだろう。

誰かの手を借りなければ生きていけない状態になり、自分のわがままが言えない場所に行って、本人のやりがい や 生きがい がなくなっていくのがとても嫌だ。

病院を飛び越え、施設のスタッフになって、一人一人の自由や好きなことに向き合いたい。現地は人手不足なこともあり、難しいのだろうが…。

 

嫌だ、悔しい、悲しい、私は本当にOTに向いてない、病院から抜け出したい。そんな気持ちばかりに向けてもどうしようもない。私はこれから、病院の中で、本人がやりたいことに関して自己発信していけるような声掛けや支援を行っていきたいと思う。これは今からでも遅くないはず。模索していこうと思う。

 

 

(…よいカフェオレ飲んであと2日、がんばろう)

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ボールのようなことば /糸井重里

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大学2年生のころに買ったボールのような言葉1.2

それの3があることを今日知り、そしてたまたま今日見つけて購入した。

 

久しぶりに読んで感じたことが

「ああ、このひとの言葉が好きだなぁ」

である。

優しさに満ちていて、そしてどこか厳しさがある…といった表現がふさわしい。

そして様々な私の中でもやもやとしていた感情を文章にしてくれる。

 

先週一週間私自身の存在意義について、葛藤していた時間があった。

そんなことを考えても仕方ない、アンパンマンの歌詞にさえ答えは出ていないのだから。

私の感じている自分への自信のなさとか、人からどう見られてるか気になる、人によく思われたいとか言った変なプライドとか、そういうのを考えて自分が嫌になって逃げたくなるとか、そういった気持ちを抱えることは悪いことじゃない。

 

【そんな、人には絶対言えない、

じぶんのいやなところなんてない、

という人は、

たぶん、おもしろみのない人だ。】

 

自分の嫌なところ、ダメなところは私が一番わかっていたらいい。腑に落ちた。

 

【ただただ、「このほうが、いいな」と思う方向に、

 なんとか、じぶんを持っていこうとする。

 そういうことしかないのではないか。】

 

そういった気持ちを抱えたままで、たまには自分のいいところにも目を向けて。

自分がやりたいことを考えて、していこう。

明日からまた1週間、がんばるぞー!!!

やってらんねぇ〜って日。

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昨日、仕事で失敗をした。

自分一人の失敗でないが、誰の失敗であろうが、自分も責任があることは変わらない。

失敗を報告した故にあまり咎められることはなかったが、小さなダメージでさえ自分の中でじわじわと嫌な気分が募っていく。この気持ちは私だけでなく同じ失敗をした同期もそうだろう。

 

しかしまあ、何はどうあれ、今日だけじゃなく、やってらんね~って日はあるよね。

こんな時に「大丈夫」とささやいてくれる人はいない。

漠然とした嫌な気持ちがふつふつとして、寝つきも悪くって、思い切って今日はコンビニに飛び出した。

買い物かごの中にはアイス二つとお酒1缶。店員に「あ…この人今から1人でお酒飲むんだ」って思われたくがない為にアイスとお酒を2つずつ買って独り身じゃありませんアピールをしようと思いついたがいかんせん金欠な私はお酒の値段をみて2つ買うのはやめた。

 

買い物を終え、こたつの上で食べるアイス、お酒、好きな曲を聴きながらほろ酔いで書くブログ。少し軽くなる心。

こんな日のためにお酒やデザートはあるのだ。コンビニはあるのだ。ブログや音楽はあるのだ。

文明の発達よありがとう、私の少しだけ嫌な気持ちが晴れました。

平日もあと2日、頑張ろう。

現実と二次元

 

私は2次元の美少年・美少女が好きだ。
姉の影響により小学校の頃からアニメや漫画、ゲームといったいわゆる「オタク」文化とともに成長してきたから、そういった類に何の抵抗感もない。

 

近頃は初恋がアニメのキャラというのは珍しくもないのかもしれない。
中学校に上がり現実の男の子に恋をすることもあったが、もちろんアニメキャラに恋もした。放課後誰もいないグランドを眺めてはそこに自主練している姿を思い浮かべることや、何かつらいことがあった一人の帰り道、必ず異変に気付いたキャラが追いかけて大丈夫?と声をかけてくれる等…私は自身の妄想で最高の青春を送っていたのである。

 

そしてその中学生活から23歳までに至るこの8年…現実で恋をしていない。思えばこの数年、現実世界でときめくことがない。最近思い当たるときめきといえばカルビージャガビーマスカルポーネ味を食べて最高に滾ったことくらいだ。
さすがにヤバイ、それは帰省する度同級生に言われるが、自分でもじわじわと感じていた。

そう思った私は2019年下半期、マッチングに友人の紹介、街コンへ出向いた。シンデレラも舞踏会へ行かなければ王子様に出会えないのだと自信を奮い立たせ。

 

…結果は惨敗である。タイプでもない知らない人と話すことは疲れるだけであった。2019年下半期、ときめきを思い出す日はまだまだ遠いと悟った。

 

私の運命の人はどこにいるのだろうか。正月に引いたおみくじには待ち人、「来る。早いでしょう」。その待ち人がくるまでは今後とも「(ときメモの)佐伯君が朝早く出勤してる私をひそかに見てて、好きになってくれる」「今はまだパラメータ上げ中で、いずれ能力値があがれば佐伯君がデレ期になるはず」といった二次元のキャラクターに癒され、満たされ、現実世界を生き抜くことになるだろう。。

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