好きなことができなくなる

 

私が勤めている病院では、病院に入院されてからある程度ADLが確立してきた患者に関しては退院先や今後のリハビリの方向性を定めるためのミーティングが行われる。

 

先日初めて退院先が自宅でなく、施設になる患者様の話し合いに参加した。

このミーティングで感じた思いを忘れないようにブログに残しておく。

 

脳幹出血の患者様で構音障害を伴っており、発語不明瞭だが理解は良好な方である。

年齢も若く、ADL練習と付随して就労に関してのリハビリも実施していた。

その方の希望は「自宅退院」。リハビリに関しても熱心に取り組まれていたように思う。

 

しかし、結局ADLの大幅な向上は認められず、キーパーソンの負担がかかることから施設退院の方向性になる。

 

Drが本人に退院先の希望を聞いた際に

 

「家に帰れるとは思ってない」

 

本人がいろんな気持ちを押しつぶして、様々な日々を過ごしてようやく出したその言葉を聞き悔しさと悲しさでいっぱいになった。

 

私は結局この人の人生に何を与えれただろうか、ただ漠然とリハビリをしてきたが、結局は何も助けになれていないのではないか。自分自身の力不足にやるせなくなった。

 

もちろん、これが私より優れたセラピストなら多少ADLの獲得スピードは速かったかもしれないが、機能的にも全ADL自立は厳しいのは確かだ。

 

これまでも病気になってから計り知れないほど多くの自信や、他社との交流、趣味を諦めてきたのだろう。施設退院だからといってできないことがさらに増えるかといわれればそうでもなかったりするのかもしれない。しかし、旅行に出かけたり、好きな音楽を借りにCDショップへ行くことは今後も出来なくなっていくのだろう。

誰かの手を借りなければ生きていけない状態になり、自分のわがままが言えない場所に行って、本人のやりがい や 生きがい がなくなっていくのがとても嫌だ。

病院を飛び越え、施設のスタッフになって、一人一人の自由や好きなことに向き合いたい。現地は人手不足なこともあり、難しいのだろうが…。

 

嫌だ、悔しい、悲しい、私は本当にOTに向いてない、病院から抜け出したい。そんな気持ちばかりに向けてもどうしようもない。私はこれから、病院の中で、本人がやりたいことに関して自己発信していけるような声掛けや支援を行っていきたいと思う。これは今からでも遅くないはず。模索していこうと思う。

 

 

(…よいカフェオレ飲んであと2日、がんばろう)

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